京都の物件は適当に探し中。 住んでた同僚から幾つか「ここ良いんじゃないすか」ってオススメしてもらった物件をもとに、不動産屋さんにメールで問い合わせて似たような物件を紹介してもらってる。 来月くらいに実際に行って内見できたらいいかなー。
今の家は1月で2年契約の更新だと思っていたけど 今日きいてみたら来年6月までの契約になっていたらしい。 1ヶ月以上前に退去の通知をすれば大丈夫らしい
京都の物件は適当に探し中。 住んでた同僚から幾つか「ここ良いんじゃないすか」ってオススメしてもらった物件をもとに、不動産屋さんにメールで問い合わせて似たような物件を紹介してもらってる。 来月くらいに実際に行って内見できたらいいかなー。
今の家は1月で2年契約の更新だと思っていたけど 今日きいてみたら来年6月までの契約になっていたらしい。 1ヶ月以上前に退去の通知をすれば大丈夫らしい
所属している会社が 京都に開発拠点を新設する、と先月末のイベントで発表した。 僕はその情報は特に知らなかったし、聞いても「へー、そうなんだ」くらいに思ってて あまり関係ない出来事だと思っていた。
そんな中、今週に入ってから 実際に京都オフィスに異動することが決まっている人とかと雑談してるところで 「東京キライだし、僕も京都に移住したいっすわー」 って適当に発言したところ、 「お? 一緒に行きます???」 ってなって、なんかいつの間にか上司に話がついていて、上司の上司にも話がついていて、突然具体的な話が始まってしまった。 仕事的には今のプロジェクトをリモートで続けてくれてれば問題ないらしい。
まぁ実際のところ東京にたいしてこだわりは持っていなくて、ごみごみしている大都会が嫌いなのも事実だし、 今の家に住み始めてもうじき6年、2年ごとの契約を更新するかどうか考えていたところだし 家庭も持ってなくて特に移住を拒む理由もない… 別にいいかな、と。
地元の仙台からは今以上に離れてしまうが… と思ったけど 昨日実家に帰る用事があり ついでに両親にちょっと話してみたところ 「むしろ京都に遊びに行きたい」とノリノリで、 もう本当に誰も僕を引き止める人が居ないww ってなり、マジで移住しちゃいますかね、という感じで話を進め始めた。
…ていうのが、この3日間での出来事。
それなりに大きな会社になっているのに、こんなにスピーディーに事が運ぶっていうのもすごいな…と思いますね。 僕個人としても常にフットワーク軽く生きていきたい気持ちがあるので、こういう面白ネタが来たら躊躇わず飛び付いていこう、という姿勢で 受けてみることにしました。
とりあえずは基本的には今やってる仕事をリモートで進めつつ 関西での人材確保に協力していく、という感じで 変わらずエンジニアリングは続けていく…はず。
年内くらいに住むところを決めて、年明けからは引っ越して新拠点の立ち上げに関わっていく、という予定になりそう。 その後どれくらい居ることになるんだろう、期間については何も話に出ていないので 基本的にはずっと居る感じになるのかな、、
京都で嫁探ししないとな〜
東京の唯一すばらしい点として色んなスゴい人に会いやすい、というのがあると思うので 年内のうちに都内で会える人に会っておきたい気持ちですね。
よろしくお願いします。
ドルヲタを辞めた - すぎゃーん日記 というのを書いてから 約3ヶ月。
なにか新しい趣味は〜 と模索していたところ、@shiyakeita くんとかに誘われ 周りに将棋をやっている人も結構多いみたいだしやってみるか、と手を出し始めてみた。
3月のライオンとかも読んでて面白かったし 俺もひなちゃんと結婚したいし。
対局はまだまだで ようやく棒銀というのを少し覚えた程度、ぜんぜん勝てない。
まずは とにかく筋トレ、と思って主に詰将棋を解く練習をしている。 3手詰がようやく一通り解けるようになって 5手詰をうんうん唸りながら数十分かけてようやく解く、くらいの感じでやってる。 たった3手や5手 と思ってほぼ総当たりで考えてるつもりでも全然抜けがあってなかなか正解に辿り着けなかったりするし、そういう問題がたった数種類の駒から無数に紡ぎ出されていて すごいなー、と
日本将棋連盟のページには毎日詰将棋というコーナーがあって 毎日1題ずつ詰将棋の問題が掲載されている。 これを毎日cronでChatに貼り付けるスクリプトを書いたりしてみた。
この世界には.kif
という独自の、正直良いフォーマットとは思えないけど とにかく棋譜を表すフォーマットがあるようで 「毎日詰将棋」の各問題にはその問題に対応する.kif
ファイルへのリンクが貼られている。
これを雑にparseして、その盤面図を表す画像を生成できるようなモジュールを書いた。 最近はGo期なので折角なのでGoで。
go-shogi
とかshogi-go
とかだと めっちゃ紛らわしい名前になっちゃいそうだし、シンプルにshogi
でいいよね。
んで、これを使って任意の盤面図画像を生成できるWebサービスに。
https://shogi-img.appspot.com/
世の中には CSA標準棋譜ファイル形式 というコンピュータ将棋向けの棋譜フォーマットもあるようで、正直こちらの方がすっきりしていて分かりやすい。 これの開始局面を表すフォーマットを参考に、URLのpathに指定することで任意の盤面を作れるようにしてみた。
https://shogi-img.appspot.com/P-22KA/P+99KY89KE/P+00KI/P-00AL
という感じ。
kifをparse -> CSAに変換 -> 繋げてURLに とやれば詰将棋の問題を示す画像URLがポンっと投げられる。便利(?)
せっかくなので詰将棋の自動解答とか問題生成もプログラム書いてみたいし、 今日みかけたのでは ARKitとMachineLearningを組み合わせてカメラ上で数独を解くっていうのがあって これの将棋版とか出来たら面白そうだし取り組んでみたいところ。
https://blog.prototypr.io/behind-the-magic-how-we-built-the-arkit-sudoku-solver-e586e5b685b0
あとはまぁコンピュータ将棋とかも素人がどれくらいのものを作れるものなのか分からないけど 出来れば挑戦してみたいなーと思ったり。
無理矢理プログラミングと結び付けなくても普通に楽しめるとは思うんだけどw とにかくネタには困らなそうだし無限に勉強することがあってハマれそうな気はしている。
コードを書いて生きていきたい、と決意しプログラマに転身して もうじき10年目だ。どうにか思った通りの生き方を出来ている
— すぎゃーん💯 (@sugyan) August 27, 2017
2008年9月1日、僕のプログラマとしての人生がスタートした。
2007年4月、地元の大学院を修了。上京して大手のSIerに新卒として入社した。
就活は適当、だったつもりは無いけど これといって強い意思は持っていなくて 何となく、という感じでIT系を選んでいた。
200人以上の同期たちと一緒に約半年にわたる新入社員研修、同時に配属先でOJT、という感じでとても手厚い教育制度があり それはそれは良い会社だった。 配属先での主な仕事はソフトウェア製品の動作テストなど、だったと思う(正直あんまり覚えていない)。 コードを書く仕事ではなかったけど、開発職や研究職に近い配属だったこともあり ちょっとしたプログラミング研修も受けたりした。
学生時代にも一応プログラミング演習の授業や修了研究でもちょっとしたものは書いていたので素人ではなかったけど、そのときはそこまで興味を持つ対象ではなかったし、それほど真面目に勉強したことはなかった。 優秀な同期に教えてもらいながら受けた研修、その後も自主開催していた社内勉強会的なものに参加して色々教えてもらい、プログラミングの面白さ・奥深さをそこで改めて知った気がする。
プログラミングに興味を持ち、Perlの入門書を買って自分で勉強し始めたりした。
インターネットの向こう側にはプログラマとして活躍している人たちが居ることを知り、そういう人たちに憧れるようになっていった。 id:amachangさんの「IT戦士の作り方」というスライドに心動かされ、「ウェブ進化論」という本を読んでワクワクした記憶がある。内容はもうどちらも忘れてしまったけど…。 とにかく、2年目社員になる頃には「プログラマとして生きていきたい!」と思うようになっていった。
Twitterを始め、はてなダイアリーも作って技術メモを書き始めた。
その頃の話を6年くらい前に書いたっけ。
その会社に居てもプログラマとしてのキャリアを歩める可能性もあったけど、どうせならプログラマしか居ない環境に移ってしまえば、と 転職を考え始めた。
とはいえコネも何も無くて他に選択肢もなく、普通に転職エージェントに登録。
第二新卒という扱いで見てもらえる部分はあっても、それにしても実務経験も実績も無い素人なんて採ってくれるところはそうそう無く。
社員15人くらいの所謂ベンチャー企業にたまたま拾ってもらえたけど、今思うと本当に奇跡的なくらい有り難いことだったなぁ、と。 拾ってくださった社長に本当に感謝しております。。
せっかく地元の国立大を出て大手企業に入ったのに1年半で辞めてしまって まぁそりゃ年収だって百何十万かは下がるわけで 親や周りの同期にはすごく心配されたりもしたけど 意外と自分の決意は固かった。
そして2008年8月で新卒入社した会社を退職し、同年9月1日 新しい人生の第一歩を踏み出した。
なんとなく入社初日だし、と思って一応スーツ着ていったけど マンションの一フロアにある小さな開発会社でそんな格好していっても浮くだけだった、のを強烈に覚えているw それがスーツを着て出社した最後の日、だったかな。
25歳、未経験のプログラマとしてのスタート。
ちょうどiPhone SDKが出てアプリ開発やっていくぞ!という流れで 触ったことのなかったMacと真っ黒なObjective-Cの本を与えられ、ほぼゼロの状態から ひたすらそれを勉強した。 めっちゃ難しくて大変だった記憶があるけど、とにかく自分が挑戦してみたいと思っていた そういう仕事が出来て、楽しかった。
その後はGoogle App Engineを触ったり。 出たばかりの先進的な技術を触ることができて、本当に恵まれた環境だったと思う。
仕事の勉強もしつつ 趣味では自分の興味持ったものを勉強しつつ 外部の勉強会やエンジニアコミュニティにも積極的に参加したり。 おかげで社外にも同業の知り合いが少しずつ増え、世界が拡がっていった。
趣味で主にPerlワンライナーとか記号プログラミングとか勉強したりを続けていた。 書いたプログラム、参加した勉強会、はてなダイアリーにたくさん記録を残しながら。
夏に少し形態素解析というものに触れて、動詞の前に「全裸で」ってつけるだけの下らないネタを書いたら結構ウケが良くて、それを使ってTwitter botを作ったらなんか1万フォロワーくらい付いて嬉しかった。 そのネタでLLイベントやYAPC::AsiaでLTさせてもらったりして、また知り合いが増えたりした。
せっかくPerlをよく使っているし そっち方面で面白いところに、と考えるようになり、縁あって鎌倉の面白い会社に転職することに。
結局2社目は1年3ヶ月だけの在籍で 勉強するだけさせてもらって利益を生み出すような貢献も何も出来なくて、不義理だらけで去ることになってしまったのは大変申し訳なく思っています…。
住居も鎌倉に移し、(といっても社員同士でのルームシェアの家には寝るだけだったり 寝るのも会社で家にはシャワーを浴びに帰るだけになったりもしていたけど) 新たなスタート。
B2CのWebサービスのサーバサイド開発というものに本格的に取り組んだのも始めてで、これはこれで趣味の勉強の範囲では知らないことだらけだったのでとても苦労した。与えられた仕事も満足にこなせず 泣きそうになりながらGWを会社で過ごしたような記憶がある。
でも、自分たちの作ったサービスにユーザが居て 使ってくれているのが見える というのはとても新鮮だったし、強烈なインパクトがあった。
とにかく濃い時間を過ごし、色んなモノを作ったし 色んな経験をさせてもらった。 プログラマとしてのスキルはこの1年が一番大幅にアップしたんじゃないだろうか。
Node.jsに興味を持って、アプリを書いてみたり。
震災があって少し心が不安定になったり 突然アイドルにハマり始めたりした。
ISUCONというコンテストが始まり、会社のメンバーと出場して優勝できた。
また色々とタイミングであったり思うところがあったりで、転職して都内の会社に移ることに。 この頃にはもう転職エージェントとかに頼る必要はなく 自分で調べて自分で行きたいところを決めることができるようになっていた。
前職に続いてPerlでWebアプリケーション系の仕事。
大好きなアイドルの夏ツアーを追いかけて初年度の有給や貯金を使い果たしたりしていた。
そんな好きなアイドルを効率的に追いかけるためのツールを自作していたり、プログラマとしての知識がとても役に立っていた。プログラマになっていて良かった
なんか気付いたら会社名が変わっていたり。関わる仕事も基本的に大規模なアクセスが当然のように来るサービスになっていて、すごい経験もさせてもらった。
前年は出題の手伝いをさせてもらったISUCONに 再び出場し、また優勝を経験させてもらった。
変わらずアイドルを追いかけつつ Webアプリケーションの開発をやらせてもらっていた。 有り難いことに新規サービスの立ち上げに関わらせてもらうことが多く、比較的新しい技術に触れる機会も多かったように思う。
趣味ではGoやWebGLとか触ったりしていたようだ。
ReactやPerl6をちょっと触ったり。数年ぶりにJavaを書くようになったりもした。
そしてTensorFlowに出会い、年末くらいから機械学習をやり始める。
ひたすら趣味の機械学習に力を入れていたように思う。
その中でPythonの他にRailsやらJSやらGoやら色々やった。
社内でちょっとした異動があり、また新しいプロダクトの開発に関わらせてもらっている。
気付くとそれなりの古株社員になってしまっていて、それなりに信頼も得て? 面白い開発の仕事を任せてもらっている、と思う。
どうにか、ちゃんと「コードを書いて生きていく」ことができている。
それなりに給料もいただいて、食っていくのに困ることのない生活はできていて、
社内にも社外にもたくさんエンジニアの知り合いが居て、周りには頼りになる仲間が居て。
9年前にスタートを切ったばかりの時の自分には信じられないくらいに、素敵な世界に生きていられている、んじゃないかな。
いつまでこの生き方ができるのか、どんどん優秀な若者が現れて自分は老害化していくし 身体は弱っていく一方だし 不安は尽きないけれど
自分が選んで決めた道。
精一杯やれるだけのことをやって プログラマ10年目も頑張っていこうと思います。
最後の推しの居るグループが6月下旬に発売した3rdシングルのリリースイベントを応援し続けたのを機に、アイドル現場に行くのをやめた。
そのCDの購入者特典のイベントが後日に幾つかあって それに足を運んだ以外では、今月は一つもライブ等に行ってない。その感謝イベントも最後の一つが終わり、大好きな推しの子ともお別れを済ませた。
なんで辞めたか、っていう決定的な理由は特に無くて。ただ最近は仕事も趣味の勉強も楽しく忙しくて年間200や300の現場に通うほどの余裕は無いし、中途半端にダラダラと続けるよりは区切りの良いところで断つ方がスッキリするな、と思って決意した。
正直、今だって推しの子たちは大好きで会いに行きたいし、アイドルの現場・ライブはとても楽しくて 行かなくなった今はいったい何を楽しみに生きてるんだろう、って思ってしまうくらい空虚で。
でもそれも数週間程度のもので、また少し時間が経てば心境も変わってくるんじゃないかな。と思って今を過ごしている。
別にアイドルが嫌になったわけではないし 推しの子たちはずっと応援していきたい気持ちもあるけど、自分もこのままではいけない。前に進んでいかなくては。
たくさん元気や感動を与えてもらったのを糧にして、僕も仕事や勉強ももっと頑張って 自分の人生をより充実したものにしていこう。と思います。
アイドルちゃん、沢山のステキな思い出をありがとう。
撮ったチェキは見返して思い出に浸ることができて良い
1月にノロウイルス(と思われる)に罹ってまだ半年も経っていないところで。
再びウイルス性(?)の胃腸炎にかかって大変な数日間だった。
昼くらいから腹の調子は悪いな〜 という感じで
夕方にかけて少し全身が気怠い感じに。「風邪か…?」と
熱っぽさも少し感じていたけど測ってはいない。
とにかくしっかり食べて寝よう、とココイチで牛メンチカツカレー+野菜トッピングを食べて、ポカリスエット2リットルを購入して帰宅。熱を測ったら37.4℃だった。
食べ過ぎたのか 寝苦しくてなかなか眠れず…
うーん、おかしいな… と思ってトイレに立ったら急に吐き気が来て一気に嘔吐。
1月のときと同様にビックリするくらい出てきて、「あぁ、さっきの1200円のカレーが…」って泣きながら全部吐いてしまった。多分昼飯の松屋の定食も出てたと思う。
で、熱を測ると38℃を超えていて。
これはノロウイルス再来か…!? いやしかしこんな季節にも来るのか?と呟いているとアデノウイルスというのが流行っているらしい、という情報も。
とにかく風邪ではなく何らかの細菌かウイルスで胃腸がやられているのは間違いなさそう、という感じ。
会社お休みしてひたすら寝込むことに。
やはり嘔吐はその1回きりで あとはひたすら水様の下痢が頻繁に続く。
1月のときは身体の震えとか高熱がキツかった覚えがあるが、今回は下痢の方がキツかった。ポカリスエット飲んでも飲んでもすぐに身体から水分が出ていってしまう感じで ちゃんと補充できていなかったら脱水症状がヤバかったのでは…と。
やはり怠くて起き上がって動いたりは出来ず、引き続き寝込み続ける。
体温は37℃台まで下がったり、またぶり返して38℃を超えたり。
なかなか症状も良くならないし いつ治るんだ…と絶望しかけたけど、
夜になって突然すっきりしだして下痢も収まり 体温も36℃台に回復。
朝起きるとすっかり平熱に戻っていて、動ける状態になっていた。
近所の内科に行って症状を伝えて診てもらう。
やはり時期的に考えるとウイルス性じゃなくて細菌性のものじゃないか、とのことで とはいえ怪しいものは特に食べた覚えはないし…
血液検査の結果を見るとどうやら細菌性のものの場合の結果とは違ったようで、やはりウイルス性だったのかもね、と。
結局 何が原因で何にやられていたのかは分からないまま。
出社などに関しては明確な基準は無いし、飲食業の人間じゃない限りは御自身の判断でどうぞ、とのこと。
やはり少し脱水気味なのか本調子という感じではなく 結局また半日寝込んだり。体力も著しく低下しているのを感じたので 徐々に慣らしていかなくては。
結局何が悪かったのか分からないし今後に備えての気をつけようもなくて また別の感染性胃腸炎にかかるのに怯えながら生きていくしかない、というのはつらい。けど仕方ないか。
今まで一度も罹ったことなかったのに ここにきて半年で二回もやられると流石に凹む…
あ…ありのまま 今週末 起こった事を話すと
「おれは 趣味でアイドルの顔を識別し続けていたと思ったら いつのまにかシンガポールでのAPACのイベントに機械学習エキスパートとして参加していた」
色々な運と縁があり お声をかけていただき、シンガポールに行ってきました。 すべての日程を終え、チャンギ国際空港で帰りの飛行機までの時間でこのブログを書いています。
という感じで Googleさんにお世話になりまくりの2日間でした。
I'm at Google Asia Pacific in Pasir Panjang, Singapore https://t.co/u6DsALoGmJ
— すぎゃーん💯 (@sugyan) March 4, 2017
カンファレンスでの発表、というほどではない簡単な自己紹介LTにしても 海外で人前で英語で話すというのが初めての経験だったので とにかく緊張した。
死ぬほどエイゴ出来なくて死んだけど、人生初 英語LT done.😇
— すぎゃーん💯 (@sugyan) March 3, 2017
休憩時間に結構話しかけてもらえて、一応内容は伝わっていてウケてたっぽい!!
— すぎゃーん💯 (@sugyan) March 3, 2017
内容は勿論、今までブログに書いたりしてきたことの簡単なまとめで「日本のアイドルっていう人達の顔識別したくてひたすら画像集めてデータセット作って、あと生成とかもしてみたよ」というだけの話だけど 上手く伝えられるかどうか、、という不安がいっぱい。 でも事前に@kazunori_279さんが紹介してくださっていたのもあり、どうにか他国の方々にも理解していただいて興味を持っていただけたようで。
あとでいただいたフィードバックは
など。
特にDCGANでの顔画像生成はインパクトあるようで 他の参加者にも「顔生成してた日本人」として覚えてもらえたっぽい。嬉しい。
夜は台湾・マレーシアの参加者の人たちと一緒にMarina Bay Sandsのバーにちょっとだけ飲みに行ったり
なんかすごいオサレな所に行った。もうちょっと違う景色の見えるエリアに行こうとしたら雪駄だったためにドレスコードNGで追い返されました。。 pic.twitter.com/X4yYOlfj9u
— すぎゃーん💯 (@sugyan) March 3, 2017
午前・午後と分かれて2セッションのお手伝い。
.@kazunori_279 さんによる事例紹介でのアイドル顔生成の話を目の前で聴けました pic.twitter.com/o6UwVItjlW
— すぎゃーん💯 (@sugyan) March 4, 2017
よく紹介していただいている、と話には聞いていたけど 海外でこうやって紹介していただいているのか〜 と生で見ることができて感無量。
それを知ってかCodeLabの教材そっちのけで「自分と、妻と娘の顔写真を使って顔画像を生成したいんだけど どうしたらいいんだ」ってめっちゃ前のめりで質問してきたおっちゃんがいたりして面白かった。
チューター業はまずWindows機でDockerを動かすのに苦戦する人を助けるのが大変だった、というのが第一で… しかし@kazunori_279さんが作った教材はとても面白くて 比較的初心者な参加者の方々には楽しんでいただけたのでは、と思います。
が、やはり英会話が全然出来ないマンなのでちょっとした質問に対しても何度も聞き返してしどろもどろの回答ばっかりになってしまってつらい…。さらにただでさえ日本語でも上手く説明できる気がしないようなニューラルネットワーク・機械学習の深い質問なんかは本当に返答に窮して周りに助けを求めることしか出来ず 情けない思いでした…。
でもやっぱりこっちの人たちは日本人より遠慮が少なくちょっとしたこともガンガン質問してくるし マトモに回答できてなくても笑って頷いてくれるし、気分としては終始楽しくチューター業ができて良かった、かな。
地域限定っぽい珍しいの捕まえたぞ!! pic.twitter.com/TEcPrpdp0b
— すぎゃーん💯 (@sugyan) March 3, 2017