コードを書いて生きていきたい、と決意しプログラマに転身して もうじき10年目だ。どうにか思った通りの生き方を出来ている
— すぎゃーん💯 (@sugyan) August 27, 2017
2008年9月1日、僕のプログラマとしての人生がスタートした。
2007 - 2008
2007年4月、地元の大学院を修了。上京して大手のSIerに新卒として入社した。
就活は適当、だったつもりは無いけど これといって強い意思は持っていなくて 何となく、という感じでIT系を選んでいた。
200人以上の同期たちと一緒に約半年にわたる新入社員研修、同時に配属先でOJT、という感じでとても手厚い教育制度があり それはそれは良い会社だった。 配属先での主な仕事はソフトウェア製品の動作テストなど、だったと思う(正直あんまり覚えていない)。 コードを書く仕事ではなかったけど、開発職や研究職に近い配属だったこともあり ちょっとしたプログラミング研修も受けたりした。
学生時代にも一応プログラミング演習の授業や修了研究でもちょっとしたものは書いていたので素人ではなかったけど、そのときはそこまで興味を持つ対象ではなかったし、それほど真面目に勉強したことはなかった。 優秀な同期に教えてもらいながら受けた研修、その後も自主開催していた社内勉強会的なものに参加して色々教えてもらい、プログラミングの面白さ・奥深さをそこで改めて知った気がする。
プログラミングに興味を持ち、Perlの入門書を買って自分で勉強し始めたりした。
インターネットの向こう側にはプログラマとして活躍している人たちが居ることを知り、そういう人たちに憧れるようになっていった。 id:amachangさんの「IT戦士の作り方」というスライドに心動かされ、「ウェブ進化論」という本を読んでワクワクした記憶がある。内容はもうどちらも忘れてしまったけど…。 とにかく、2年目社員になる頃には「プログラマとして生きていきたい!」と思うようになっていった。
Twitterを始め、はてなダイアリーも作って技術メモを書き始めた。
その頃の話を6年くらい前に書いたっけ。
その会社に居てもプログラマとしてのキャリアを歩める可能性もあったけど、どうせならプログラマしか居ない環境に移ってしまえば、と 転職を考え始めた。
とはいえコネも何も無くて他に選択肢もなく、普通に転職エージェントに登録。
第二新卒という扱いで見てもらえる部分はあっても、それにしても実務経験も実績も無い素人なんて採ってくれるところはそうそう無く。
社員15人くらいの所謂ベンチャー企業にたまたま拾ってもらえたけど、今思うと本当に奇跡的なくらい有り難いことだったなぁ、と。 拾ってくださった社長に本当に感謝しております。。
せっかく地元の国立大を出て大手企業に入ったのに1年半で辞めてしまって まぁそりゃ年収だって百何十万かは下がるわけで 親や周りの同期にはすごく心配されたりもしたけど 意外と自分の決意は固かった。
そして2008年8月で新卒入社した会社を退職し、同年9月1日 新しい人生の第一歩を踏み出した。
なんとなく入社初日だし、と思って一応スーツ着ていったけど マンションの一フロアにある小さな開発会社でそんな格好していっても浮くだけだった、のを強烈に覚えているw それがスーツを着て出社した最後の日、だったかな。
2008.09 〜
25歳、未経験のプログラマとしてのスタート。
ちょうどiPhone SDKが出てアプリ開発やっていくぞ!という流れで 触ったことのなかったMacと真っ黒なObjective-Cの本を与えられ、ほぼゼロの状態から ひたすらそれを勉強した。 めっちゃ難しくて大変だった記憶があるけど、とにかく自分が挑戦してみたいと思っていた そういう仕事が出来て、楽しかった。
その後はGoogle App Engineを触ったり。 出たばかりの先進的な技術を触ることができて、本当に恵まれた環境だったと思う。
仕事の勉強もしつつ 趣味では自分の興味持ったものを勉強しつつ 外部の勉強会やエンジニアコミュニティにも積極的に参加したり。 おかげで社外にも同業の知り合いが少しずつ増え、世界が拡がっていった。
2009
趣味で主にPerlワンライナーとか記号プログラミングとか勉強したりを続けていた。 書いたプログラム、参加した勉強会、はてなダイアリーにたくさん記録を残しながら。
夏に少し形態素解析というものに触れて、動詞の前に「全裸で」ってつけるだけの下らないネタを書いたら結構ウケが良くて、それを使ってTwitter botを作ったらなんか1万フォロワーくらい付いて嬉しかった。 そのネタでLLイベントやYAPC::AsiaでLTさせてもらったりして、また知り合いが増えたりした。
せっかくPerlをよく使っているし そっち方面で面白いところに、と考えるようになり、縁あって鎌倉の面白い会社に転職することに。
結局2社目は1年3ヶ月だけの在籍で 勉強するだけさせてもらって利益を生み出すような貢献も何も出来なくて、不義理だらけで去ることになってしまったのは大変申し訳なく思っています…。
2010
住居も鎌倉に移し、(といっても社員同士でのルームシェアの家には寝るだけだったり 寝るのも会社で家にはシャワーを浴びに帰るだけになったりもしていたけど) 新たなスタート。
B2CのWebサービスのサーバサイド開発というものに本格的に取り組んだのも始めてで、これはこれで趣味の勉強の範囲では知らないことだらけだったのでとても苦労した。与えられた仕事も満足にこなせず 泣きそうになりながらGWを会社で過ごしたような記憶がある。
でも、自分たちの作ったサービスにユーザが居て 使ってくれているのが見える というのはとても新鮮だったし、強烈なインパクトがあった。
とにかく濃い時間を過ごし、色んなモノを作ったし 色んな経験をさせてもらった。 プログラマとしてのスキルはこの1年が一番大幅にアップしたんじゃないだろうか。
2011
Node.jsに興味を持って、アプリを書いてみたり。
震災があって少し心が不安定になったり 突然アイドルにハマり始めたりした。
ISUCONというコンテストが始まり、会社のメンバーと出場して優勝できた。
また色々とタイミングであったり思うところがあったりで、転職して都内の会社に移ることに。 この頃にはもう転職エージェントとかに頼る必要はなく 自分で調べて自分で行きたいところを決めることができるようになっていた。
2012
前職に続いてPerlでWebアプリケーション系の仕事。
大好きなアイドルの夏ツアーを追いかけて初年度の有給や貯金を使い果たしたりしていた。
そんな好きなアイドルを効率的に追いかけるためのツールを自作していたり、プログラマとしての知識がとても役に立っていた。プログラマになっていて良かった
2013
なんか気付いたら会社名が変わっていたり。関わる仕事も基本的に大規模なアクセスが当然のように来るサービスになっていて、すごい経験もさせてもらった。
前年は出題の手伝いをさせてもらったISUCONに 再び出場し、また優勝を経験させてもらった。
2014
変わらずアイドルを追いかけつつ Webアプリケーションの開発をやらせてもらっていた。 有り難いことに新規サービスの立ち上げに関わらせてもらうことが多く、比較的新しい技術に触れる機会も多かったように思う。
趣味ではGoやWebGLとか触ったりしていたようだ。
2015
ReactやPerl6をちょっと触ったり。数年ぶりにJavaを書くようになったりもした。
そしてTensorFlowに出会い、年末くらいから機械学習をやり始める。
2016
ひたすら趣味の機械学習に力を入れていたように思う。
その中でPythonの他にRailsやらJSやらGoやら色々やった。
2017
社内でちょっとした異動があり、また新しいプロダクトの開発に関わらせてもらっている。
気付くとそれなりの古株社員になってしまっていて、それなりに信頼も得て? 面白い開発の仕事を任せてもらっている、と思う。
今
どうにか、ちゃんと「コードを書いて生きていく」ことができている。
それなりに給料もいただいて、食っていくのに困ることのない生活はできていて、
社内にも社外にもたくさんエンジニアの知り合いが居て、周りには頼りになる仲間が居て。
9年前にスタートを切ったばかりの時の自分には信じられないくらいに、素敵な世界に生きていられている、んじゃないかな。
いつまでこの生き方ができるのか、どんどん優秀な若者が現れて自分は老害化していくし 身体は弱っていく一方だし 不安は尽きないけれど
自分が選んで決めた道。
精一杯やれるだけのことをやって プログラマ10年目も頑張っていこうと思います。